和風列車「みやび」 |
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| 本日は、少し古い画像を…
短命に終わった和風列車「みやび」をご紹介します。
老朽化した宮原客車区の81系お座敷列車を置き換えるため
14系座席車を改造し1986年4月に誕生したのが和風列車「みやび」です。
車内は、掘り炬燵や日本庭園などが設置され
これまでのお座敷列車よりも更にワンランク上の内装で登場。
特に掘り炬燵は乗客に非常に喜ばれたと聞いた事があります。
多くの乗客を乗せ、益々の活躍を期待していた同年12月28日
悪夢のような事故が起こりました。
「みやび」は、いつものように多くの団体客を乗せ山陰方面へ運転されました。
兵庫県にある香住駅にて団体客を降ろした後、浜坂駅までの回送途中にある
餘部橋梁を通過時に強風に煽られ7両編成の車両全てが転落し大破
機関車だけは重量があった為か転落を逃れました。
転落した「みやび」は橋梁下にある水産工場を直撃し、従業員5名と
乗員1名を含む計6名の方が亡くなりました。
和風列車「みやび」は、誕生から僅か9ヶ月弱という短命に終わった事故
私は、この事故を忘れられず今でもはっきり憶えています。
大きな事故を起こした餘部橋梁も、
まもなく新しいコンクリート橋に架け替えられます。
もうこのような事故が起こらない事を願っています。
それでは、本日は懐かしい「みやび」の画像をご覧下さい
まずは、大阪駅での「みやび」お披露目(展示会)の画像からです。
7両全てが揃わず4両での展示会となりました。
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| EF65-1134に牽引され大阪駅4番線に停車中の「みやび」
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| 現JR貨物機のEF81-123号機牽引の「みやび」
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| 珍しくHM付きで運転された「みやび」
牽引機は現JR貨物機のEF81-119号機
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| 宮原客車区(現宮原総合運転所)内で体を休める「みやび」
この画像を撮影したのが1986年12月26日
この2日後にあのような大事故が起こるなんて…
編成として見る「みやび」は、この日が最後となりました。
年明け、鷹取工場一般公開時には周りをコンテナで隠されていましたが、
変わり果てた「みやび」の姿をハッキリ見ることができました。
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4月17日(土)12:44 | トラックバック(0) | コメント(2) | 東海道本線 | 管理
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1: 小さき頃の記憶…
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| 餘部鉄橋の事故は衝撃的でした。 小さき頃(当時6歳)の記憶として、今でもニュース映像を覚えています。 餘部鉄橋=列車転落事故のイメージは今でも根強く、慰霊碑を訪れる人、餘部鉄橋を訪れる人は後を絶えません。
事故が起きた餘部鉄橋も風の問題が大きいのでしょうが、事故の影響と騒音などの問題で、コンクリート橋に生まれ変わりますが、事故の事が風化しない事を願うばかりです。
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by セレッぱ・セレま | 4月19日(月)07:29
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2: 記憶は消えない。
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| セレッぱ・セレま 様
こんにちは。
餘部鉄橋の事故、本当に衝撃的でした。 実家に帰れば、当時のニュースを録画した ビデオテープがまだ残っていると思います。
餘部鉄橋には、事故が起こる前に1回、事故後に3、4回訪れています。
やはり、あの場所を訪れると事故のイメージが強く 軽い気持ちでは行けないですね
私も慰霊碑の前で「もう二度とこのような事故が起こらないように」と 静かに手を合わせてきました。
まもなくコンクリート橋に架け替えられ、見た目は変わってしまいますが セレッぱ・セレま様の仰るとおり「みやび」の事故を風化させてはいけません。
事故から20数年経ちましたが、いつまで経っても 「みやび」の事故、そして福知山線の事故は忘れられません。
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by テン(管理人) | 4月20日(火)21:42
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